女子中学生が漫画万引きして逃走→事故死→本屋叩かれる→閉店
2013年5月22日水曜日
今、ネットでこのニュースを見て、『あれ、前も同じような事件があったな』と思ったのですが、どうやらその時の事件がネット上で再燃したようです。
これは、2003年1月に起きた、
“男子中学生が本を万引きして逃走→電車に跳ねられ死亡”
という事件を指しています。
これに関して検索してみたところ、以下の記事を見つけました。
『川崎市古書店万引き少年逃亡死』 http://www.jttk.zaq.ne.jp/baags702/genba015.html
私は、この記事に書かれている以上の意見を持ちません。書店側は“被害者”であり、責められることなど一切ありません。
むしろ、被害者である店長を責め、閉店に追い込んだ人たちを、心の底から軽蔑します。
私は以前の記事で、高校時代に、土足という“罪”を犯したこと、そしてそれに対する“罰”として、体育教師から“竹刀で叩かれる”という、いわゆる“体罰”について言及しました。
これとまったく同じと言っていいと思うのです。
もちろん、竹刀で叩かれることと、電車に跳ねれられて死亡することとは、とても大きな違いがあるということは分かっています。
でも、少年が犯した“万引き”という罪に対する罰は、『警察に通報され、しかるべき処置を受ける』ということであり、電車に跳ねられることとは無関係です。彼が電車に跳ねられたのは、彼の責任でしょう。
考えてみると、『中学生』というキーワードは、人に“同情”という感情を起こさせるに充分なブランディング力があったのではないでしょうか。
まだ若い。将来がある。万引き程度で・・・。命を失った。
そういう考え方は、思考の道筋としては理解できます。
これがもし、『38歳の会社員が万引きをして逃亡、電車にはねられる』という事件だったなら、書店側はこれほど責められることはなかったのではないかと想像します。
繰り返しになりますが、私が土足をした時と一緒なのです。少年が万引きをしたことと、店長が警察に通報したこと、
どちらが悪いのでしょうか?
彼が電車に跳ねられたのは、逃走したからであり、彼の勝手な行動であって、書店側を責めることはできません。
さらにこの少年は、自分の氏名や連絡先を黙秘しており、これは万引きという行為の“悪さ”を自覚していたことを示唆しています。
したがって、『まだ若いのだから罪の意識がなかったのでは』とか、判断力の欠如とか、そういう擁護は成り立ちません。
無邪気な少年がいたずらにやったこと、とはどうしても思えないじゃないですか。
私が腹を立てているのは、万引きをした中学生に対してではなく、書店の店長でもありません。
『書店側を責めたて、閉店に追い込んだ人たち』です。本当に許せない。
彼らはこの事件に直接的な関わりがあったわけではなく、対岸の火事であるかのように自分だけは安全な位置にいて、しかし声だけは大きい。
本当に悪いのがどちらなのか、深く考えもせずに、『中学生が万引き』・『逃亡死』というふたつ“だけ”を天秤にかけ、実に短絡的で恐れ入った判断を下してしまう。
まったく・・・
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